直感や感覚は大切な信号

こんにちは!叶多です!

占いハウスくじらの占い師の中ではインスピレーション系占い師と呼ばれていますが、

実際に元からいわゆる「第六感」が強くて、これまでも直感で決断した事は大体正解という人生でした。


自分の中に備わっている直感や感覚。

これって、「何か根拠やデータがあるのか」と問われれば、大抵の場合はない事が多い。

それだけに、「なぜそう決めたのか、根拠やデータを示しなさい」と言われると、困ってしまうこともよくありました(;´∀`)

社会に出ると、特にそうですよね。判断の基準は大体数字や目に見えるデータ。直感なんか根拠に乏しいからまず採用してもらえない。


けど、数字やデータなんてものは、あくまでも知識が発達した人間が、もともとサルだった時代からもっている本能よりも優位なものと位置づけて重要視しているだけのものだと私は考えています。


人間だって(神話の説を除けば)元はサル=動物だったのだから、本能で生きていたはず。

動物には、本能の一つとして、危険を回避したり生き残るために発達した「感覚」が備わって居るし、特にそれが敏感に発達した個体は、群れに対していち早く危険を知らせる警告者になるようです。


直感や感覚に例え根拠がなくても、バカに出来ない。というか、根拠がないからこそ重宝した方が良い気もしています。


重たい話にはなってしまいますが、「なんとなく」の感覚によって、結果周りの人を危険から回避させる事が出来たのかもしれない体験を一つ話します。

去る6月8日。この日は14年前に秋葉原で無差別大量殺人事件の起きた日でした。

私はその日、秋葉原のとある店舗に勤務していました。

その日は朝から体調が優れなく、結果遅刻をして出勤しました。多分この時点で秋葉原に行かない方がよいと分かっていたんだと思います。

勤めていた店は10時半から開店する店でしたので、従業員の休憩回しが始まるのは大体早くても12時半か13時頃になります。

その日は日曜日ということもあり、午後からの混雑が予想された為、フロア長の先輩がいつもよりも早く休憩に出ようとしていました。


同じ頃、私は勤務をしながら胸の奥にこれまで感じたことの無いような、なんとも言い表しがたい悲哀のような感情と同時に、「さようなら」という声が頭の奥に聞こえるのを感じました。

それも十数人くらいの。

その時私は直感しました。この付近で誰かが死ぬ。それも複数人。今は誰も外に出てはいけない!

そう感じた直後、休憩に行こうとした先輩の足止めを気付いたらしていました。

「すみません、あちらのお客様のご質問が私には難しいので、申し訳ないのですが、案内を代わっていただけますか?」と。

先輩は少し苦い顔をしながらご案内を代わってくれましたが、それから僅か数分後に、惨状を知る事となります。


もしかしたら、私があの時自分の感覚を信じなかったら、先輩は事件に巻き込まれていたかもしれなかった。

そう感じてからなおさら、例え根拠がなくても、直感や感覚を信じることを大事にしています。

「なんとなく、こうした方がいい」「なんとなく、これはやめた方がいい」

根拠やデータがなくとも、その様に感じるのは本能や魂からの信号だと思って、素直に信じてみるのも日常生活で大事だと思います。

そして、「なんとなく」は、やっぱり、直感が冴えていないと感じられない。

直感は、毎日に余裕がないと鈍ってしまうものだと思います。

数字やデータに追い立てられ、余裕のない生活の上では到底このような感性を磨く暇がない。

効率を求めることだけが人として、与えられた能力を全うできるとは思えないのです。

誰にもきっと眠って居る「直感や感覚」という能力。

それを使わない手はないでしょう。

今後の社会がもっと「なんとなく」を大切に動いて行けるようになるといいなと私は思います。



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